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かわら版

   かわら版

「味噌」の文字の意義 味噌は、穀物を発酵させて作られた日本の発酵食品です。そんな「味噌」の文字には「味がにぎやか」という意味があります。
肉や魚を麹と食塩で発酵させた調味料を「醤(ジャン)」と言います。
醤はやがて「御醤(みしょう)」→「未醤」→「未曾」→「味曾」→「味噌」となりました。
「未醤」の文字が初めて登場するのは西暦701年の「大宝令」です。「未醤=未だ醤にあらず。」
醤になる前のものという意味。 強いクセのある中国伝来の「醤」よりももう少し日本人の嗜好に合った「あっさりとした」ものであると考えられます。 つまり「味噌の原型」といえます。 その後、平安時代の901年「三代実録」に
初めて「味噌」の文字が登場します。 味噌の「噌」は中国にはない「和製漢字」です。
この文字を日本人がわざわざ漢字を創って当てたことには3つの意義があると思います。

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1番目の意義 文字が持つ「にぎやかな様子」という意味です。「曽」には「かさなる」の意味があります。それに口偏を付けて「口がかさなる」つまり「にぎやかな」となります。
「味がにぎやかなのが味噌ですよ」ということです。味噌には発酵、熟成により「しょっぱい・甘い・酸っぱい・苦い・うまみ」など様々の味わいが生まれます。
「甘い」にも「様々の甘い」、「酸っぱい」にも「様々の酸っぱい」が生まれます。
味噌にもよりますが、一つの味噌の中に生まれる味わいの種類は香りまで入れると300種類以上にもなります。それらの微妙な違いを繊細な舌で感じて
「噌(にぎやか)」という文字を創った日本人の細やかさ、言葉の豊かさにはただただ関心するのみです。

2番目の意義 「味噌をとても大切な食材と考えていた」ことの現われということです。当時の日本にとって独自の漢字を創るということは、現代の私たちが考える以上に重大なことであったと考えられます。今でいえば、自動車産業が無く輸入していた国が、国産車を作るということに匹敵するのではないでしょうか。この時代に一食材にわざわざ和製の漢字を創って当てたということは、味噌をそれだけ大切なもの、重要なもの、日本人の食にとってなくてはならないものと考えていた証拠といえるでしょう。

3番目の意義 「味噌は日本固有の食文化である」という確たる意志の表明(特に「中国」への)です。当時の日本にとって中国は「先進国」であり、強大な軍事力をもつ超大国でした。当時の中国にとり自国以外の国はすべて「夷族」の国であり、日本は辺境にある「属国」のひとつという認識でした。日本の歴史、とくに平安時代までの歴史は言い換えれば隣の超大国からの政治的・文化的な独立を保ち、「対等である」ための戦いの歴史といえるでしょう。その時代背景の中、607年に聖徳太子が大国である隋の煬帝に送った「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」の文書はまさに「対等である」という強い意思を表しています。史書によれば煬帝はこれを読み、激怒したと伝えられています。和製漢字「噌」は、味噌の起源は中国から来た「醤」が原型であったとしても、「改良に改良を重ねて 自国の文化にしたぞ」という日本人の意思を明確に表した、と言えます。 たった一文字ですが、私はその言葉に込められた「日本人の誇りと独立心」を感じずにはいられません。私たちが日々取り組んでいる「味噌」とはそのようなものです。

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鎌倉時代に起きた味噌に関する、というより日本人にとって大きな出来事は「みそ汁」の登場です。それまでは直接「食べる」ものであった味噌を摺って 「汁にして飲む」ものに変化したのです。約2000年前の醤の渡来から700年経って「未醤」へと進化した味噌は、さらに700年ほど経って今度は「みそ汁」に進化したわけです。そしてこれが後に庶民にも広がり、以後の日本人における食の基本になり、明治、大正時代に至るまで長く受け継がれました。その意味で 「味噌」から「みそ汁」への進化はまさに「革命」だったといえるでしょう。 佐野味噌醤油 三代目当主 佐 野 正 明